※ 映画本編の内容を含みますので、
映画ご鑑賞後にお楽しみください。

『まる』の始点

 ドラマ「珈琲いかがでしょう」(21)をともにつくりあげた荻上直子監督と山田雅子プロデューサーは、作品が終わった後も会食などを通じて〝次なる可能性〟を探っていた。その間、荻上監督がたびたび口にしていたのが、「堂本剛さんに興味があります。なぜかとても辛そうで」という言葉だった。そしていつしか山田Pともども「芝居から長らく離れている堂本の食指が動く企画」を、真剣に模索するようになっていく。ブレインストーミングやディスカッションを重ねながら、『まる』の原形ともいうべき〝不条理な出来事に翻弄されていくことで、結果的に本来の自分を取り戻していく男の物語〟の企画書を練り上げた両者は、堂本にオファー。検討に前向きな感触を得て、さらに堂本のアイデアなども取り入れつつ、沢田という主人公をアテ書きしたオリジナルストーリーを生み出すにいたる。
 なお、荻上監督が脚本執筆中にBGMとして聴いていたのは、ソロアーティスト・堂本剛のデビュー曲であり、本作の主題歌にもなった「街」であった。

『まる』の撮影、ついにはじまる

 24年1月半ば、ついに映画『まる』がクランクイン。初日は横浜の路地裏でのロケ、古道具屋を訪れた沢田が、道に白いチョークで描かれたたくさんの「〇」に目が留まって立ち止まった後、歩いてフレーム外にフェイドアウトしていくシーンから撮影がスタートする。『銀魂2』(18)に高杉晋助役で出演してはいたものの、芝居の種類がまったく異なることを考えると「プラトニック」(14)から数えて10年ぶりのカムバック。そのブランクもあってか、あるいはセリフではなく表情や目の動き、たたずまいなどで沢田の心情を表す場面だったからか、少しばかり顔が強張っているようにも映った。だが、何十年も表現者として活動してきたキャリアは伊達じゃない。荻上監督と綿密に話し合い、〝自分が何を求められていて、どのように立ち振る舞うのがベストなのか?〟を探った上で体現する──というアプローチで、その場に沢田を存在させていく。以後、本番でカメラを回す前の堂本と荻上監督が話し合う時間内で撮影部・照明部・美術部・録音部といったスタッフ陣が完璧に現場を整えるという循環も確立され、結果的に丸く収まる方向で『まる』の現場は円滑に進んでいくことになる。

『まる』に豪華キャスト集まる

 撮影が始まって数日。千葉県のとある倉庫には堂本をはじめ吉岡里帆、戸塚純貴、そして吉田鋼太郎らがそろい踏み。吉田が演じる現代美術家・秋元洋治のアトリエでの一幕を綴る、映画冒頭に登場するシークエンスの撮影が行われた。実際に沢田や矢島(吉岡)がキャンバスを油絵の具で塗っているが、リハーサルの段階では当然ながら
〝塗るふり〟で動きやタイミングなどをつかんでいくことになる。堂本は絵画指導の百田智行氏に適宜アドバイスを仰ぎながら、乾いた刷毛をキャンバスの上で滑らせつつ筆入れの手際や所作を確認。長く絵を描いてきた沢田の〝アクション〟を身体に染みこませていく。なお本作はフィルムでの撮影にして、荻上監督がファーストテイクにおける芝居の鮮度を好むことから、さほどテイクを重ねない傾向にあった。
ちなみに、秋元役の吉田はシーン数的にもこの日のみの参加に。旧知の吉岡との再共演に喜びを分かち合って現場を盛り立てる一方、芝居では気難しくピリッとした秋元の〝アーティスト気質〟をケレン味を加えながら体現し、ならではのスパイスを効かせていた。

『まる』を描くシーンで見せた堂本剛の真骨頂

 沢田の部屋は、横浜のとある古いマンションの一室を美術スタッフがまるまる装飾をほどこし、アトリエ兼住居に仕立ててある。その部屋の中に紛れ込んだ蟻を沢田が見つけて、囲むように「〇=円相」を描いていくシーンは、クランクインから1週間ほど経ったタイミングで撮影された。まさに映画『まる』を象徴するとともに物語の転機となっていくシーンだけあって、緊張感もひとしお。何よりも、利き手ではない左手で円相をきれいに描かなければならないというミッションが、堂本を待ち受けていた。何回かの練習(※絵の具をつけず、模造紙の上で円を描く動きを確認)を経て、カットを割らずに円を2つ描ききるところまで一気に撮ってしまおうということに。「沢田さんの心の準備が整ったら、本番よろしいでしょうか」と荻上監督が告げ、堂本のタイミングで本番が始まった。すると…一発目で均整のとれた見事な〝まる〟が! これには思わず本人も「よかった〜」と安堵の一言を。一方、スタッフ陣は本番で真骨頂をいかんなく発揮する堂本に、惜しみない称賛をおくっていた。

『まる』の主人公・沢田像、かたまる

 撮影が始まって約2週間。沢田の隣人であり、壁越しにネガティブな叫びとうめき声で悩ませる売れない漫画家の横山を演じる綾野剛が、荻上組に満を持して合流した。その声に腹を立てて壁を叩いた沢田に反応して、壁を蹴破るという暴挙に出る──シーンから撮り始めていく。実は荻上監督が自身の〝闇〟を投影してもいるという横山を具現するにあたって、綾野は髪を赤くカラーリング(荻上監督の青い髪からインスピレーションを得たのだそう)。細やかなディテールの部分においてもキャラクター性を生かすべく、思考をめぐらせている。さて、肝心の〝壁キック〟はアクション慣れしている綾野にとっては容易かったようで、テイク1で見事に貫通! 痛くなかったか気づかうスタッフに「全然大丈夫ですよ〜」と余裕の笑みを見せていた。
なお、台本上の横山は〝いけ好かなさ〟が漂っている、できれば関わりたくないタイプの人物像として描かれていた。ところが、綾野が演じたことによって、その攻撃的な言動の裏側には実に人間くさく、どこか愛おしさすら感じるぐらいチャーミングなキャラクターへと昇華。堂本も「綾野くんの横山が現場に来てくれて関わっていく中で、僕も沢田がどういう人物なのかをつかむことができた」と、最大級の賛辞をおくっている。まるでセッションをするかのように芝居の精度を高めていった2人の共演がなければ、『まる』という映画の仕上がりも違ったものになっていたと言っても過言ではない。
 ちなみに居酒屋のカウンターで横並びに座った沢田と横山がビールを飲みながら会話をするシーンはワンカットで撮られているが、長回しでの撮影が堂本に伝えられたのは当日のこと。「ページ数も多いし、さすがに緊張した」と苦笑いしていたが、臨場感あふれる印象的なシーンになったことは言うまでもない。

始まれば終わり、そしてまた新たな円環が始まる 

 クランクインから約1ヶ月、長いようであっという間だった『まる』の撮影も大詰めを迎えていた。夕景の田園の中を自転車で走る沢田のカットで映画は終わるが、撮影でもラストに持ってくるという粋なスケジューリングに。しかも、レンズにフィルターをかけたりフィルムを色調整して夕景に見せるのではなく、いわゆる「マジックアワー」の日没合わせてフィルムを回していった。すなわち、スクリーンに映し出される──沢田が思わずよそ見をしてまで眺めたくなる、稜線の上にグラデーションを織りなす空と、水平線ギリギリのところで止まっている夕陽は、実景である。これまた一発勝負だったが大一番でも堂本は強さを発揮、荻上監督の「OKです」の声で、無事に全シーンの撮影が終わったことが告げられた。
 なお、この撮影最終日、直筆の「〇」を描いてもらおうと、スタッフ陣が入れ替わり立ち替わり堂本の元を訪れるという微笑ましい光景が見られた。まさに福徳円満、円満具足。
それから半年後の初号試写──エンドロールで提示される沢田が描いたと思しき絵を見て、綾野は堂本にこう伝えた。「沢田は自分の描きたかった絵を描けたんですね。それがとても嬉しかったです」堂本がその言葉にこの上ない喜びを抱いたことは、言うまでもないだろう。